Lost time is never found again.

メーデーを過ぎて、結ばれた大人たちの為に祝福されない子どもの日。祖父の誕生日。そしてやってくる母の日。今年はメイストームデーも重なった。5月13日は別れ話を切り出していい日。

「母の日も誕生日も祝ってくれたことなんてもうずっとなかった」
私が中学2年の冬に癌が発覚した母。闘病生活を経て高校1年の9月に亡くなった。確かこの台詞を聞いたのは私が中学3年の頃だったと思う。次の年、それが最後になる母の日に、父は始めてカーネーションを買ってきた。
母は少しだけ笑った。それは、喜びの感情ではなかった。こんなものお金の無駄、と唇が動いてた。つまり彼女が言いたいのは、今更そんなことをされても。というものだった。父は結局、母が辛い時に守ってあげることも助けることも傍に居てあげることもしなかった。何だってタイミングというものは大切だ。その瞬間を逃したら、もう、全部、今更。
花はすぐ枯れる。
(私は、造花になることにしよう)
May Storm Day 04:12 2012.05.14 Monday murmur

Men are April when they woo, December when they wed;
maids are May when they are maids, but the sky changes when they are wives.

5月は滅入る日が多い。
春の柔らかな風を感じさせることもあれば、少しだけ早めに覗かせる梅雨の天気や、強い日差しで夏の匂いを連れてくる時もある。目紛しく変わる。だからこの時季の双子座たちは、気分の移り変わりが激しいのだ。きっと、そうだ。

去年の5月5日。牧師の息子として生まれ、自身も牧師として仕えている親戚の兄の結婚式が青山の教会で開かれた。私は参列しなかった。着ていくドレスもないし、会ってもどんな顔をすればいいのかわからない。親戚とはいえ繋がりは深くない。そこに居る方が不似合いに思えた。

あとから結婚式で配られた賛美歌とふたりの言葉が綴られた本をもらった。
美し過ぎると思った。神への誓いが、愛の言葉が、けれどそれは安っぽくはなくてとても似合っていた。兄の名前は聖仕だった。似合い過ぎていて、私はひとり苦笑してしまった。
神様に導かれていることを信じて疑わない。あんなにも強い確信を抱いているならば、きっと幸せなふたりになると遠くで想っていた。(私は神様を信じないけれど、)

ああ、でも、時々想うよ。何故あの日だったのだろう。
幸せそうに微笑むふたりを見てはしゃぐ子どもたちがいる。けれど、そっとカーテンに包まって無表情で涙を流す。だって今日はもう、自分たちのためのケーキは用意されないと知っているから。
大人のための子どもの日 11:18 2012.05.03 Thursday murmur

In order for three people to keep a secret, two must be dead.

イギリスのユーモアの特徴
「ほろ苦さ」「そっけなさ」「禁欲主義」「子どもっぽさ」「ナンセンス」

「ほろ苦さ」は陽気さと真剣さという独特の特徴の組み合わせから生まれる冷笑的性質。
「そっけなさ」は誇張した表現や熱意の表出を避けようとするためのもの。イギリス流ユーモアは熱気をおびて沸き立つことはめったになく、地味な傾向がある。
「禁欲主義」は逆境においてユーモアを利用することが、イギリス人の性格の根本であるということ。ユーモアが用いれられるのは事態の深刻さを否定するためでなく、笑いによって逆境を乗り越えらえるということを示すため。
「子どもっぽさ」には、イギリス人の間に広くある「ピーターパン・コンプレックス」と密接な関係がある。退行的衝動をとることで子どものままでいたいという欲望を満たす。
最後の「ナンセンス」とは、すべてをひっくり返し大人のルールに従うことを拒絶するということ。子どもっぽさはナンセンス・ユーモアの中核といえる。

ユーモアを理解し、創造するには、言葉の教養が必要とされる。相手の立場を思いやり、自分と相手を対等の階梯に置いて接する人にしか、ユーモアのセンスは持てないと言われる。相手を見下したり、逆に卑屈になったりする人には、ユーモアの資質が欠けるとみなされる。自己顕示が強くなりすぎるとペダントリー(衒学趣味、知ったかぶり)に堕すこともある。人の行為、かかわりについての深い洞察や世知の豊かさが、上品でセンスのあるユーモアを生み出すことが多い。

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不思議の国のアリスが昔から好きで好きで好きだ。ピーターパンも。
探偵も、古ぼけた町並みも、曇り空も、言葉遊びも、皮肉屋も。イギリスが好き。
学校の始めの授業はアイデンティティについてだった。私は自分のアイデンティティはアリスだと唱えた。その時の作品が先生受けがよかったのか、その後も何かとセンスがあると褒めてもらえた。自信がない奴を奮い立たせるための台詞なんだろうな、という斜に構えた受け取り方しかしてこなかったけど。卑屈になりすぎてもよくない。

見下すことはないけれど、俯瞰しがちで卑屈にはよくなる。誰だって自分の存在を認めてほしいから、自己顕示欲のない人間はいないだろうけれど、それが衝動的に肥大化して周りを圧迫することは酷く見苦しい。そんな姿だけは晒さないようにしなければと思った。
帽子屋として生きるのだ。
絶望の礼儀に関する記述 09:25 2012.05.03 Thursday memo

The great tragedy of life is not that men perish. but that they cease to love.

5月になってしまった。呪いのはじまり。
この2日間は仕事だったから嘯いていられたけれど、今日仕事が終ると世界が私を圧した。雨による偏頭痛、帰宅途中の電車内で息が途切れた。降りて壁に寄りかかる。食欲はないけれど、消費期限を考慮しての軽い食事を摂った。それからずっと部屋で踞っていたけれど、頭がどうにかなってしまいそうで、夜中になる前、甘いものを買いに雨のなかコンビニへ出かけた。菓子パンを2つ。帰りに公園に寄るとスポットライトが弱く光っていた。

食べ終わって甘ったるい。いまだ治まっていない咳が再び寒気も連れてきた。
明日も明後日も1日ベッドで過ごすんだろう。展示には出かけれそうにない。
(そういえばこの3年、この時季には何も創れないでいたじゃないか、)

怯える夏が迫ってくる。けれどその手前、はじまらないパーティがやってくる。くだらない誕生日が3回もあって、去年にはおめでたい結婚式も葬式も増えた。おそろしい四季が巡ってやってくる。7月と8月がレッドゾーンなら、5月6月はイエローだった。
警告色は点滅している。けれど、通る以外に道はない。四季は回避できないから。

春の訪れを祝福するメーデーは誰にも祝われず終った。
救難信号も雨に掻き消されて君には届かなかった。
「ねえ、5月になってしまったんだよ、」
双子の季節 01:12 2012.05.03 Thursday murmur

If you don't learn to laugh at trouble,
you won't have anything to laugh at when you grow old.

「自己満足で完結する優しさのない優しい言葉吐いてるなよ。自分が傷つかない距離から投げられた言葉は、届いたところでそれだけの軽さしかないよね。返すこっちもその距離を考慮して振りかぶらなきゃいけないから疲れるよね。」

人への声かけを考える。ある程度本人が浮上しているならば、息継ぎの仕方を教えるのはためになる。その優しさに心から感謝できる。けれど深海にいる状態でそれを語るのは一瞬の安堵であって、すぐに苦しさに気付く。優しさに感謝したあと、それ以上の悲しみで押しつぶされそうになる。
それは信じきれていないのに、信じてしまったが故の結果だけれど。
結局はみんな、もっと軽く柔らかいものとして優しさを放っている。それなのにときに私や彼女は重く捉えて、心のどこかで期待し過ぎる。人間不信のくせに、優しさに触れると手を伸ばしてしまいたくなるんだ。
それが確実に相手と繋がる糸なのか確認もせずに。
でも仕方がないのではないだろうか?深海ではそれだけが光として現れる。
「けれど、光とは掴めないものなんだよ」

私はいま、あの頃と違って泳げないなりに浮上している。
それでも深海に慣れた目は闇の奥をよく映す。
(ああ、だから彼女がそこに居るうちは、僕は黙って俯瞰する)

誰かがその唇にキスをして息を吹き込むから。
その役目は僕じゃないから。
君という光 08:04 2012.04.23 Monday murmur
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